この前、初めて教壇に立つ若手に対して、ベテランの先生が
ベテラン
とりあえず、この1年間は指導書どおりに授業してごらん
と言っていた。
さて、指導書どおりの授業。どうなのだろう。
たしかに、指導書どおりに授業が進めば、授業の目標は達成できるかもしれない。
だが、若手は伸びるだろうか。
指導書ってたしかに便利で私もよく参考にするが、指導書はハウツー本だ。
要するに「やり方」である。
「やり方」ばかり指導された若手は、核のある教師になれるだろうか。
壁にぶち当たった時に、乗り越えられるだろうか。
だから、私は若手の指導こそ「あり方」を大切にしたい。
その先生がどんな先生になりたいのか、どんな子ども観、授業観、教育観を持っているのか。
それを基盤に指導をしたい。
もし、若手が「子どもたちの可能性を伸ばせるようにしたいです。」という教育観を持っているのであれば、その教育観に必要な「やり方」を伝えていきたい。
「あり方」を基盤に「やり方」を伝えていく。
例えるのであればパズル。
パズルの台紙が「あり方」だとしたら、ピースが「やり方」
まずは、若手の台紙を一緒に作り、後は自分で長い時間をかけてピースをはめていく。
その時は必要ないと思ったピースもいつか使うときがくるかもしれない。
もしかしたら、パズルは完成しないかもしれない。
それはそれでいい。
完成しないほど大きな台紙に挑戦しているのかもしれないのだから。
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